ゲスい話

スルー推奨

構ってちゃんを煽る

構ってちゃんが、
「かわいい我が子の記念写真を写真館で撮りましたあ〜
出来上がりが楽しみぃ〜ミャハ」

SNSに書いてたので

「うわー!いいね!楽しみ!出来上がったらみたいなー!」

とコメントしました。


んで後日、

「記念写真が出来上がりましたあ〜
うふふきゃぴきゃぴ」

と写真が晒されていたので、

 華麗に無視しました。



あの人はログインしてて見ている筈なのに自分にはコメントくれないとか、くどくどとそーいう地味なことを気にする気持ちが悪い性格の持ち主なので、このパンチが効いてたら楽しいなと思います。




コメントしなかったのはその時たまたま忙しくてタイミング逃したからで深い意味は無いんですけどね。

被害者ヅラして死んでいくんじゃねーよ

私は親が死んだ時にこう感じた。

死んだら、いい人みたいになってズルイ


生前散々な目に遭わされたが、死んだらみんなが手を合わせて死を惜しむかのような態度だ。
やっと死んだぜ!晴れ晴れだ!みたいな空気は、出しちゃダメ。な、気がした。なんか納得いかない。
死んだ人間のことを仏様と呼ぶが、ほんとに、死んだら冒してはいけない聖域の中の人間になったみたいだった。



北海道で女子高生が母と祖母を殺したニュース


件のニュースに向かって今朝のテレビ番組でテリー伊藤が「親が嫌なら家を出て行けばいいんだ!17歳なんだから出来るだろ!世話になった親を殺すなんて!」と、怒り狂ってた。


(17歳なんだから出来るだろ、だって。
出来るわけねーだろバーカバーカバーカ)


mixiニュースという下衆の溜まり場でも、なんで殺すんだ、異常だ、お前が死ね、というつぶやき散見。


一方、長女を虐待したとして逮捕された母と交際相手、というニュース


子供かわいそう。
虐待するな。
お前が死ね。
毎回毎回こんなニュースのたびにそんな感想が並ぶわけで。


でもこの子供が加害者と被害者という相反するふたつのニュース、どっちとも子供のほうが被害者だろって思う。
  


死んだらかわいそうなの?


子供に殺される親なんて死んで当然だと思う。

しんでとうぜんだとおもう!!!!

もし子供の殺意が親に向かず自殺していたら。
虐待で小さいうちに殺されていたなら。

そしたら子供のほうがかわいそうなんでしょ?
なのになんで親殺したらその親がかわいそうになるんだよ(笑)
意味わからんわい。



おかあさんボケボケ問題1

おかあさんとは姑さんです。


全員分のお茶を出す

「子供たちはココア入れるわね
息子ちゃんコーヒーかしら
嫁ちゃん紅茶でよかった?」

子「牛乳ひとつください」

(ココアもう入れてる)

「はいはい牛乳ね!」

旦那「じゃその余ったココアは俺が飲むわ。」

「あ、そう?
えーと、息子ちゃんはコーヒー?ココアがいいの?」

うち「うん、今余ったココア持って行ったから息子の分要りません。」

「そう。
えーっと、今子供たちのココア入れたから、次息子ちゃんのコーヒー、‥

うち「うん、今ね、ココア持って行ったから、もう息子ちゃん、要らないんだって!」


話聞いてないだけなの?
ほんとに今言ったことがわからないの?
その後も、あと何人分お茶入れたらいいのかわからないって何回も数えてた。


結婚式の写真

何故か舅さんが自分たちの結婚式の写真を見る?と行って取り出しはじめた。
やだーウフフと姑さんわらいながら見てる。

しばらく親戚一同の集合写真を見ながら、私と旦那で会話。
子供に、「ねえねえこの人誰かわかる?」と話し掛ける。


姑さん、「え!それなに見てるの?誰の写真?Mちゃん(親戚)の結婚式かな?」



え。
今自分たちの結婚式の写真だよっていって、出したでしょ。



バースデーソング


ハピバースデ〜♪トゥーユー♪
おめでとう〜〜

と歌って、何故か誕生日じゃない子供がロウソクを吹き消し、じゃ、ケーキ切るねと旦那がケーキを切り始めた。

その間にお茶入れる姑。

お茶も出揃い、じゃあ食べますか、っていう時に

「じゃあ、歌おうか?」

いや、さっきもう歌ったし。





病院拒否

嫁からだと、あれかな、と、
娘から 何回か病院に行こうと誘ってもらったが拒否して喧嘩になってしまうらしい。



悩ましい。

姑さん。

昨日夜ご飯作ってバタバタしてる夕方に姑さんが訪ねてきた。

姑さんが訪ねてきても家には上げない我が家。
なんなら玄関にも入れない我が家。
冷たいですかね。


忙しい時だったし玄関あけたら蚊が入るから、来るなよってちょっとイライラ。


何の用事かというと、熱心に信仰している仏教の今月の予定表を持参。
「今月の定例の集まり、また、よろしくね。」と言って去った。

私の巨大なお腹見えてる?
もうすぐ出産の人間に何をよろしくするのか。
外出出来るわけないっしょ。
行かねーよ。
てか行かないってずっとほのめかしてるのに。


宗教のことで頭がいっぱいの姑さん。
孫の誕生そっちのけ。
予定表を見たら、定例の集まりを姑さん宅で、出産予定日に行う手筈になってる。
旦那に
「もしこの時私がまさに出産となったらどうするつもりなんだろうね。笑」と話したけど。


まあ、姑さんがなにしてようが関係ないけど。
出産のこと忘れてるのかな?
いつも蔑ろ感満載でイライラ。


熱心に毎日お祈りしてるけどそのヒステリーとか物忘れとか治らないじゃん。って言ってやりたい。

ナチュラリスト(笑)

ベジタリアン、ビーガン、べつに嗜好は人それぞれやと思うけど
なんで変な思想に倒錯していくんだ

Facebookとかで、医療否定するブログのいいねとかシェアとか回してきてたりすると、

この人ガンになって若くで死んだりしねーかなとか思ってしまう自分ガいる

性格悪いですね。


ベジタリアンなる前から比べてガリガリでハゲちゃって、痩せたというよりやつれ?気持ち悪いし健康的に見えないよ。

ベジごはんは美味しそうだけど。

なぜ、トンデモ陰謀論とかと結びつくんだろ。一気に胡散臭くなる

「虐待を受けました」の言葉の重さ

自己紹介としてまず話したいこと。

私は親に暴力を振るわれて育った。
これが自分という人間を作っている大部分で大前提。


この大前提が、難しい。
この大前提の壁を越えてお付き合い出来る人間は少ない。

親から受ける理不尽で一方的な攻撃というのを理解するのは、経験のない人にはかなり難しいことなんだと思う。


ピーターパンというディズニーアニメ。
有名なやつ。
我が家でもよく子供たちが観ている。
この作中でピーターパンがウェンディにおかあさんって何?と聞く場面がある。
ウェンディはこう答える。

「あらおかあさんを知らないの?おかあさんっていうのは、愛してくれて、世話してくれて、お話をしてくれるのよ」


一瞬で終わるシーンだけど、これすごくズシンとくるセリフ。

あらおかあさんをしらないの?

一般的な家庭で普通に、普通のお母さんを持っている(と見受けられる)ウェンディにとっては、お母さんを知らないということがもう既に想像の範囲を越えてる。

多くの人には、当たり前に親がいる。その親は、当たり前に

愛してくれて、世話してくれて

という存在なんだ。


この一言が、多くの人にとっての答えなのかなと思うとツラい。


世の中、愛してくれない親だって世話してくれない親だっているけど、今までの自分の(大した年数生きてないけど)日常生活で出会う人の中ではそんな家庭はマイノリティだと感じてきた。

多くの人は前述のセリフのように親とは子供のためを思っていて守る存在だと認識してるように感じてきた。


この感覚が、

私は虐待を受けました。

という一言を重く、重く、重くする。



親という存在を冒涜するにはとても勇気がいる。


親というのは尊敬しなければならない、感謝しなければならないものと思い込んでいる人々にとって、
虐待なんてあり得ないことなわけで。

親と仲が悪い、親のことが嫌い、うちの親はダメな親、そんな事言おうものなら
親に感謝できないなんて幼稚だ
とか
親のことを悪く言うもんじゃない
とか。

あれ。これって私の被害妄想が作った偏見だろうか?
いや確かに今までこんな雰囲気をビシビシ感じてきて、親には感謝しなきゃねと方々で耳にしてきて、感謝することが当たり前、じゃあ感謝出来ない人間はダメな人間なんだと。
私は刷り込まれてきた。思い込んできた。

親という存在は、否定的に語ってはいけない聖域を感じてきた。
否定的に語ることは冒涜だと。感じてきた。


虐待

この言葉を使うとすごく罪悪感がある。

それって、
つまり、
私の親は子供へ暴力を振るう悪い人間です
って意味になる。
自分の親を否定して、冒涜して、犯罪者であると。
重い。重い。


自分もその血が、流れているのに、それを否定することのつらさ。

重い。苦しい。


そしてそれは客観的な事実ではなく私自身の主観によるもの、
つまり説得力がなかったりする。
他人からしてみたら、まあまあ、ちょっと厳しい親だったかもしれないけどあなたのためを思ってのことだと思うよ?なーんて解釈も可能なわけで。


私、虐待されてました。

って堂々と言えるのってすごい勇気のいることだと思う。
少なくとも私は言葉に出すことがいまだに難しい。



余談そのいち

世間の人は虐待のニュースみたらやれかわいそうだの殺すな!だのお前が死ね!だの簡単に言うけど。
じゃあ過去虐待を受けて育ったという人にも同情的かというと違う気がする。
虐待って連鎖するらしいね!
とか軽々しく言ってみたり。

矛盾とか他人事なのをひしひし感じるから、

虐待かわいそう〜なんでこんなことするのか信じられない〜〜
みたいな、うわっつらの言葉吐くやつ大嫌い。

余談そのに

SNSとかで無意味に「うちの両親自慢」する人嫌い。
のちのちこの話は存分に語る機会を設けるつもり。




だらだらと取り留めない話したけど私の根底にあるものはこーいうもので、それが日常生活上で溝となっている感じがする。